こんにちは。
エネルギー調整セラピストとして活動している
『感動まにあ』のかんまにです。
今日のテーマは
『本当の自分の声を無視し続けると、理由のない不安に押しつぶされそうになることがある──そんな瞬間があなたにもありませんか?』
そんな言葉にならない違和感を抱えているあなたに向けて、お話ししたいと思います。
周りからは幸せそうに見える──でも、なぜか苦しい
仕事もしているし、パートナーもいる。
生活に困っているわけではない。
周囲からは「順調そう」「恵まれてるね」と言われる。
それなのに、
ふとした瞬間に押し寄せる虚しさ。
「このままでいいのかな?」という言葉にならない焦り。
それは、怠けているからでも、
感謝が足りないからでもありません。
心のどこかで、
『本当の自分を生きていない』という感覚が、
静かに、でも確かに叫んでいるからです。
人から見れば“完璧”に見える自分が、
自分自身にはまったくピンとこない。
夜ひとりで部屋にいるとき、
静けさの中に湧きあがるのは、
安堵ではなく、正体のつかめない虚無感──
それこそが、魂の奥からのメッセージなのかもしれません。
この違和感に氣づき、自分に正直に生き直す人は、
“自分の意志で生きている感覚”や
“今まで味わったことのない、
本当の意味での幸福感”を手に入れはじめます。
一方で、その声を無視し続けてしまうことで、
周囲には満たされたように見えても、
内側では空虚さが大きくなり続け、
誰にも理解されない孤独に覆われていくのです。
その分かれ道に、あなたは今、立っているのかもしれません。
自分を卑下するクセが、 愛を遠ざけていた
わたし自身も、かつてそうでした。
何不自由のない生活。
理解あるパートナー。
家内はいつも優しく、明るく支えてくれています。
わたしは、そんな彼女に対して、
「申し訳なさ」と「虚無感」を感じていたのです。
「自分はまだ何も成功できていない」
「まだ全然幸せにしてあげられていない」
そう感じるたびに、
「こんな自分が大切にされるはずがない」と
無意識に自分を卑下し、
愛をまっすぐ受け取ることができませんでした。
心のどこかで、
「もっとがんばらなければ価値がない」
「何かを成し遂げなければ認められない」
そんな条件付きの自己価値観に縛られていたんです。
そしてその卑下のクセは、
わたし自身の態度や言葉にも、はっきりと表れていました。
たとえば──
家内が褒めてくれても「いや、俺なんて…」と返してしまう。
素直になれずに、ついすねたような態度をとってしまう。
口にする言葉がどこかトゲのあるネガティブな響きになり、
知らず知らずのうちに、家の空気を重くしていたのです。
そんな自分にまた嫌氣がさして、
さらに自己否定が強まるという悪循環……
まるで、愛を拒絶しながら「愛されたい」と叫んでいるような、
そんな矛盾の中にいたことに、後になって氣づきました。
それは、脳のクセとも言える
“自己否定”のエネルギーに支配されていたのだと、
今ならわかります。
でも、そのクセに氣づいたとき、
はじめて自分を受け入れる準備が整った氣がしました。
「夫はすごい。でも…」 という孤独
もしかすると、
あなたのパートナーは社会的に成功していて、
家計も安定しているかもしれません。
でも、心の通った会話はいつから減ったでしょうか?
食卓を囲んでも、
何か大切なものが置き去りにされているように感じる。
「夫の気持ちがわからない」
「私の想いも、きっと伝わっていない」
そう思うたびに、
笑顔の裏で小さなため息が増えていく──
それでも表面上は、
「うまくやっている夫婦」に見えてしまうことが
かえって自分を責める材料になることもあるでしょう。
その距離感を埋められないまま、
年齢を重ねていくのが怖くなる──
その氣持ちに、嘘をつく必要はありません。
むしろ、その小さな違和感こそが、
あなたの魂が静かに語りかけている“本音”なのです。
ちなみに、わたしの家内は専業主婦ですが、
わたしがどんなに上手くいっていない時も、
落ち込んでいる時も、
一切臆することなく、明るく振る舞ってくれます。
その姿勢は、表面的には“何もしていない”ように見えるかもしれません。
でもわたしにとっては、どれほどありがたく、そしてすごいことだったか。
家内のそのやさしさや、凛とした明るさは、わたしの心の支えでありながら、同時にどこか「自分が情けない」と感じてしまう鏡のようでもありました。
励まされるたびに、「それに応えられていない自分」を責めてしまい、
そのやさしさが、プレッシャーに変わっていく──
そんな感情のねじれを、わたしはずっと抱えていたのです。
そしてその“申し訳なさ”が、やがて家の中に『孤独感』を生み出してしまう。
誰にも責められていないのに、自分で自分を責め、
ほんとうに大切な人との間に、見えない壁をつくってしまっていたのです。
満たされないのは、 “整っていない”だけ
わたし達は、
「これだけ揃っているんだから、幸せなはず」
「足りないなんて言ったらバチが当たる」
そんなふうに、
自分の心の声を押し込めてしまうことがあります。
でも、
心の中にぽっかり空いた穴の正体は、
『何かが足りない』というよりも、
『自分の内側と繋がれていない』ことによるものかもしれません。
本来、私たちの内側には、
“幸せ”や“安心感”が自然に湧き出る源泉があります。
それが曇っていたり、
日常の喧騒にかき消されていたりすると、
どれだけ満たされた現実を手にしていても、
心の奥が乾いたままなのです。
かつてのわたしもそうでした。
頭では「十分に与えられている」と思っていても、
心のどこかでは「何かが足りない」と感じ続けていた。
その違和感に氣づかずにいると、
小さな不満がたまり、周囲への感謝も薄れていきます。
やがて、自分の表情や言葉の端々に、それがにじみ出てくる──
知らず知らずのうちに、
自分が放っている“エネルギー”が、
身のまわりの空気をどんよりと重くしてしまうのです。
だからこそ必要なのは、
「何が足りないのか?」を探すことではなく、
「本来の自分と繋がり直すこと」。
満たされていないのではなく、
整っていないだけ──
この視点に立つだけで、
人生の意味づけが根本から変わっていくことがあります。
そして、そこから新しい光が、
静かに差し込んでくるのです。
「本当の自分」とは、 “静けさの中”にいる
自分を見失いそうなとき、
わたし達は「もっと情報を集めよう」と思ってしまいます。
新しい知識、学び、資格──
「何かを得れば変われる」と思いたくなるのは、
とても自然な心の動きです。
でも、本当に必要なのは、
“外”から情報を取り込むことではなく、
“内”にすでにある叡智と繋がり直すことかもしれません。
わたし達の内側には、
すでに多くの氣づき、経験、感覚の蓄積があります。
それが活かされていないとき、
どれだけ外から情報を集めても、
心の奥にはいつまでも「足りない」という感覚が残ります。
逆に、
今の自分の状態を丁寧に見つめ、
すでにある内なる声に耳を傾けてみると──
そこに答えの“芽”がすでにあることに氣づくのです。
心の奥にある“静けさ”に身を置いたとき、
そこに微かに感じる“違和感”や“ざわめき”こそが、
あなたを本来の道に戻してくれる灯台になるのです。
静寂の中に突如浮かび上がる
思いがけないインスピレーションが届くこともある。
だからこそ、
エネルギーを整えるというアプローチは、
表面的な対処ではなく、
“魂の根っこ”に触れる方法なのです。
セラピストとは、 “人生を共に歩く存在”
セラピストと聞くと、
「癒してくれる人」「相談に乗ってくれる人」
というイメージを持つ方も多いかもしれません。
でも、わたしが考えるセラピストとは、
もっと柔軟で、もっと共鳴的な存在です。
わたしが大切にしている『エネルギー調整セラピスト』としての在り方は、
“ゆる・浄・覚・動”という4つのステップを通じて、
ただ技術や手法を提供するのではなく、
その人の魂と真摯に向き合いながら、一緒に歩んでいく姿勢にあります。
たとえば、
心が張りつめているときにはカウンセリング的に「ゆる」を引き出し、
深く癒しが必要なときにはヒーリングで「浄」を促し、
意識の整理や学びの段階ではティーチングとして「覚」を伝え、
そして行動が必要なタイミングではコーチング的に「動」へと背中を押す。
このように、ひとつの型にとらわれず、
その人の内側の声とリズムに寄り添いながら、
“今、必要なかたち”に姿を変えて関わるのが
わたしの考えるセラピストの在り方です。
どんな言葉をかければ届くのか。
今は聴くときか、問いかけるときか。
答えを押しつけることなく、
その人の内側から答えが“立ち上がってくる”のを信じて待つ。
それが“エネルギー調整セラピスト”としての、
わたしの役割だと思っています。
最初の一歩は 「氣を整えること」から
心がモヤモヤするとき、
それは“魂からのサイン”かもしれません。
今のまま年齢を重ねることに、
どこか怖さや疑問を感じているのなら──
まずは、自分のエネルギーを整えてみてください。
わたしが提供している『エネルギー調整メソッド』は、
そんな“静けさの中の自分”に出会うための
無料オンライン講座です。
がんばらなくて大丈夫。
でも、あきらめないでほしい。
今のあなたの中にも、
ちゃんと光がある。
そんなあなたを、
心から応援しています。(^^)
──あなたの魂は、
言葉にならない感覚で、
いつも深く語りかけています。
その声に、耳を澄ませてみませんか?
エネルギー調整セラピスト
かんまに