
昨晩のディベート部では、
急きょZoomで話し合いをすることになりました。
テーマは、
「心とは何か?」です。
なぜ予定を変更したのかというと、
ディベートでは、
自分の感情に流されず、
できるだけフラットな状態で物事を見ることが大切だからです。
気持ちが大きく落ち込んでいたり、
逆に怒りでいっぱいだったりすると、
視座が低く、視野が狭くなって、
目の前のことだけに意識が向きやすくなります。
すると、
討論の全体像を見たり、
相手の意見を冷静に受け止めたりすることが難しくなります。
だからこそ今回は、
ディベートにおいて重要かつ土台となる
「心」について、全員で考えてみたいと思いました。
心とは「現実の受け止め方」?

皆さんに
「心とは何だと思いますか?」
と聞いてみると、
「感情の感じ方」
「状況の受け止め方」
という答えが出てきました。
わたしは、
これはとても本質をついた答えだと感じました。
わたし達は現実世界の中で生きています。
そこには、
自分以外の人がいて、
仕事があり、
家庭があり、
社会があります。
そして、
それらはすべて、
自分の思い通りには動いてくれません。
他人の考え方も、
天気も、
社会の出来事も、
自分ですべてをコントロールすることはできません。
しかし、
「起きた出来事を、自分がどう受け止めるのか」
は変えることができます。
同じ出来事でも、
「最悪だ」
と思う人もいれば、
「ここから何か学べるかもしれない」
と思う人もいます。
この話を聞いた時、
わたしは仏教の「縁起」と「因果」を思い浮かべました。
外側で起きているさまざまな出来事や、
人との関係が「縁起」だとすれば、
それを自分がどのように考え、
どう受け止めるのかが、
「因果」とも考えられます。
私が考える「心」は、
満たされ具合

もちろん、
「心とは何か?」という問いに、
一つだけの正解があるわけではありません。
そのうえで、
わたしは心を、
「自分がどれだけ満たされているか」
だと考えています。
仏教には、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という
「六道」といった考え方があります。
わたしはこれを、
人の心の状態を表した階層のように見ることがあります。
この六つの階層を
難しく考えず、
大きく二つに分けるなら、
『満たされていない状態』と、
『満たされている状態』になります。
満たされていない時は、
「わかってくれない」
「やってくれない」
「どうして自分ばかり」
と感じやすくなります。
目の前にある大切なものまで、
苦しみとして見えてしまいます。
反対に
心が満たされている時は、
「ありがたい」
「うれしい」
「この感動を誰かと分かち合いたい」
という気持ちが自然に生まれてきます。
同じ世界を見ていても、
心の状態によって、
見えている世界そのものが変わるのです。
心を整えることは、
生き方を整えること

現実世界をすべて思い通りに変えることはできません。
しかし、
自分の心が
何に苦しみ、
何を求め、
何が満たされていないのかに
気づくことはできます。
そして少しずつ心が満たされていけば、
苦しみは減り、
人生の中に楽しさや感動を感じることが増えていきます。
仏教には「抜苦与楽(ばっくよらく)」という言葉があります。
苦しみを取り除き、
安らぎや楽しさを与えるという意味です。
もしかすると、
心を整えるということは、
特別なことではなく、
自分の中にある苦しみを少しずつ減らし、
満たされているものに気づいていくこと
なのかもしれません。
ディベートは、
相手を言い負かすためだけのものではありません。
自分の感情に気づき、
それに流されず、
少し離れたところから物事を見る。
それもまた、
ディベート部で身につけていきたい大切な力なのだと思います。
Let’s Try

心が満たされていると、
「自分の命には価値がある」
という感覚も生まれやすくなります。
そこで今回は、
「わたしの存在には価値がある」
そして反対に、
「わたしの存在には価値がない」
という二つの立場から、
セルフディベートをしてみてください。
大切なのは、
自分が普段どちらを信じているかではありません。
あえて両方の立場に立って、
「なぜ、そう言えるのか?」
「その根拠は何なのか?」
を考えてみます。
すると、
自分が普段どのような前提で自分自身を見ているのかが、
少しずつ見えてきます。
そして、
同じ「自分」という存在であっても、
心の状態や見方によって、
その価値の感じ方まで変わってしまう。
そんなことにも気づけるかもしれません。
セルフディベートを通して、
ぜひ一度、自分の「心」と向き合ってみてください。
エネルギー調整セラピスト
かんまに
